ヨタ話

心豊かに生きるために、歌はいらない

歌

心豊かに生きるために、

何が必要だと思いますか?

 

 

 

そうです。

心豊かに生きるために、歌が必要です。

 

でもそれ、本当でしょうか?

 

歌は、気持ちを癒やしてくれたり、勇気づけてくれる

 

確かに歌は、

落ち込んだ気持ちを癒やしてくれます。

 

迷っている自分を、勇気づけてくれもします。

 

 

歌が持つ効能の素晴らしさは、誰もが疑わないことでしょう。

 

 

でもそれで、

本当に心が豊かになっているのでしょうか?

歌に、乗せられているだけなのではないでしょうか?

 

心豊かに生きるとは?なんだと思います?

 

心豊かに生きたい。

 

確かにそうですね。

心貧しく生きるよりは、心豊かに生きたいものです。

 

 

では、

心豊かに生きるというのは、どんなことでしょうか?

 

 

心豊かに生きるというのは、経済的に豊かに生きるとは違います。

違いますが、どっちかを否定するものでもありません。

どっちも得て良いものです。

 

逆に、心と経済のどちらかを犠牲にすることは、

それこそ、心が豊かではありません。

じつは、心と経済は欲張って良いのです。

 

 

 

なぜなら、

心を豊かに生きるというのは、「許容」だからです。

 

 

心が豊かということは、

「許容」して、いろんな事とつながることで可能になります。

 

いろんな事とつながる時、何かを犠牲にする必要はありません。

すべてを救済する、許しが必要になります。

 

 

救済や許しというのは、少し堅苦しいですね。

 

 

少し言葉を言い換えて、「いい加減にする」とします。

 

心の豊かさと、経済的豊かさを、どちらを犠牲にするのではなく、

どちらともいい加減に付き合うんです。

 

 

どちらともいい加減に付き合うことで、どちらも犠牲にしなくなります。

 

 

話を歌に戻します。

歌ともいい加減に、付き合ってほしいです。

 

 

歌に乗せられるのではなく、歌を利用するんです。

そして、他を排除する自分の気持ちを、無くしてほしいんです。

排除や犠牲というのは、心の貧しさからくるものです。

 

 

心豊かに生きるために、排除や犠牲はなくしていきましょう。

 

歌に乗せられて、排除や犠牲を続けては心豊かに生きれない

 

歌に乗せられて、動いていく。

 

自分とは違う夢を見て、なんとなく気持ちよくなっている。

そして現実は、排除や犠牲を続けてしまう。

 

これでは、心豊かには生きられません。

 

 

歌で気持ちが良くなるのは大切です。

でも、

それ以上に、現実において排除や犠牲をなくしていくことが大切です。

 

心豊かに生きるためにです。

 

 

歌によって、いっとき心が豊かになっても意味がないです。

勇気づけられたり、癒やされたりしても意味がないです。

 

 

心が豊かになるためには、現実世界で排除や犠牲をなくす必要があります。

そのためには、

もっといい加減になることです。

 

 

神経質になればなるほど、排除や犠牲を作ります。

いい加減になれば、排除や犠牲など作らなくて良いはずです。

なぜなら、他者の存在が許せるようになるからです。

 

 

 

いいかげんになることで、「ま、いっか」となります。

 

気になることでも「ま、いっか」です。

神経質になってしまうと、そうは行きません。

気になって気になって、やっぱり排除・犠牲を作ってしまいます。

それは心が貧しい状態です。

 

 

 

歌というのは、素晴らしいものです。

 

でも本当に素晴らしくするべきは、現実の生活ではないでしょうか?

 

歌に頼るのではなく、

現実の生活の中で、心の豊かさを求めた方が良いと思います。

 

 

現代人は、神経質になりがちな傾向があります。

その中で、排除や犠牲の選択を取ることが多いのではないでしょうか?

 

もっといい加減で「まいっか」があっても良いと思います。

それが心豊かに生きられることの、ヒントになると思うのです。

 

 

心豊かに生きた上で、歌を道連れに生きていくのがちょうどよいでしょう。

 

今回は、あえて「心豊かに生きるために、歌はいらない」というタイトルで、

このページを作成してみました。

 

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